ごまうふふ物語〜じいちゃんの味をいつまでも〜
ごまうふふのルーツ、
石本商店のごま豆腐。
いつも、ごまうふふを楽しんでくれてありがとうございます。
ぼくの名前は、大島史也。ごまうふふを作ってる人です。
ごまうふふは、ぼくのじいちゃんが50年以上前から守ってきた「石本商店のごま豆腐」と同じ方法で作っています。
昔から大好きだったごま豆腐。
この味を残したい。もっと多くの人に食べてほしい。
そんな思いから、僕はじいちゃんのあとを継ぐことにしました。
子供の頃から、一番のおやつ。
じいちゃんの家で最初に思い出すのは、香ばしいごまの香り。
お正月やお盆に遊びに行くと、じいちゃんはいつも工場にいました。工場といっても調理場と物置きを組み合わせた小さな建物で、昔も今もごま豆腐はそこで作られています。
「おう、来たか」と出てくるじいちゃんも、ごまの香り。工場にエアコンはなく、夏でも冬でも汗だくでした。当時は中に入れてもらえず、「神聖な場所」というイメージを持っていました。
僕の家のおやつは、ごま豆腐が定番。
母は食にこだわりを持った人で、ケーキやスナック菓子を食べさせてもらった記憶がありません。母が実家であるじいちゃんの家に行った時のおみやげは、いつもごま豆腐。
3人兄弟の真ん中の僕が一番のごま豆腐好きで、本当によく食べていました。
友達が来た時に出すと「おいしい」と喜んでくれて、子供ながらに誇らしい気持ちでした。
ごま豆腐がなくなるかもしれない。
東京の大学に通っていた時、バイト先のケーキ屋さんにごま豆腐を持っていったことがありました。
「甘くてスイーツみたい」「こんな食感初めて!」「ごまのいい香り〜」と口々に大好評。
やっぱりじいちゃんはすごいんだ。子供の頃から当たり前に食べていたごま豆腐が特別な宝物だと気づいた瞬間でした。
卒業間近になり、母からある話を聞かされました。「じいちゃん、ごま豆腐やめるって」。それから僕は東京の会社に就職しましたが、休日のたびに百貨店を回って色々なごま豆腐を買い漁りました。どれを食べても、昔から大好きなあの味に勝てる物はありません。じいちゃんのごま豆腐は世界一。答え合わせをするように、僕はそのことを確信しました。
「じいちゃんの味は僕が継ぐ」。
ずっと前から心にあった決意を実行するために、入社3ヶ月で会社を退職。新潟に帰ってきました。
シンプルに見えて、奥が深い。
じいちゃんには反対されました。
半世紀ごま豆腐を作り続けてきて、誰よりも大変さを知っているからだと思います。
でも、翌日も「やります」と伝えました。じいちゃんも僕の性格を理解しているからか、渋々ながらも教えてくれることになりました。
教えるといっても、何も説明してくれません。やってみせるだけ。葛粉を水に溶かし、ペースト状のごまと砂糖を入れて火にかける。作り方はシンプルでしたが、いざやってみると簡単ではありません。最初は強火にして、ポコポコと音を立て始めたら弱火に落とす。焦がさないように、その間は練り続ける手を止めてはいけません。灼熱の工場で、最低40分以上その作業を続けます。均一になめらかに整えるのが難しく、油断するとダマができてしまう。練り方だけで全く違う食感になってしまいます。
二人で黙々と作り続ける日々が続きました。
じいちゃんが認めてくれた日。
3ヶ月経ったある日。
いつも通りごまを練っていると、いつの間にかじいちゃんがいなくなっているのに気づきました。そんなこと今まで一度もなかったのに。それ以来、じいちゃんは僕が作っているところを見に来なくなりました。
「認めてもらえた」と解釈しています。
その時から今まで、ごま豆腐のことでじいちゃんから言われたのは「味は落とすなよ」の一つだけです。
結局、じいちゃんが僕のごま豆腐を食べているのを見たことは一度もありません。でも後から聞くと、ばあちゃんがこっそり試食を勧めてくれていたみたいです。
「出来栄えに満足できるのは、年に一日あるかどうか」。それほど強いこだわりを持ち続けてきたじいちゃん。そんなじいちゃんをずっと支えてきたばあちゃん。二人の後押しのおかげで、僕は石本商店のごま豆腐を受け継ぐことができました。
石本商店のごま豆腐は、ごまうふふに名前を変え、かわいいパッケージに包まれて、新しい命が吹き込まれました。でも、じいちゃんとばあちゃんの思いは、ずっと大切にしていきたいと思います。ごまうふふをこれからもよろしくお願いします。
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